生駒新地

生駒新地へ

俗語でいう「新地」は「売春街」のことで、今も各地に残っているようだが
歴史的な背景からか、なるべく触れないようにすれば・・・という「お目こぼし」感がある

生駒山中に「新地」があることを知ったのはブルースバンド憂歌団の木村が歌っていたる「イコマ」だった。

♪生駒は哀しい女町♪

もとは「女町エレジー」という演歌でウタダママもレコードに吹き込んでいる。

まず山頂にある「生駒山上遊園」に寄ってみた。
休みの日でそこそこの家族連れがのんびり。
ゆるい遊園地でシャッター通りもある。
すごいアトラクションなのかと思ったら本物の電波塔群だった。
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ケーブルで中腹に降り宝山寺に参拝
山寺なのでたくさんの伽藍が立体的に配置されている。
階段を登っていくと開けた境内にひときわ美しい檜皮ぶき屋根が聖天さまの拝殿。
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おびただしい寄進の石碑、総額を想像してみた。
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門前にある「新地」には今も「料理旅館」が並ぶ。
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旅館の玄関には風俗営業許可店証、「18歳以下はダメ」とあるから今も「営業」しているようだった。
近所の人と立ち話をしていたマダムに目配せされたが、寄り道したら帰りの新幹線代が無くなってしまう。
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この山中に閉じ込められた女たちはどうなったのか・・・
旅館街に小さな老人ホームがあった。

生と聖と性が混淆する特別な場所だった。







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Commented by もごもごです。 at 2016-11-06 19:59 x
私の育った三鷹は畑地をつぶして都営住宅などがどんどん増えていくようなところだったから、色街などあるべくもなかった。
「新地」という言葉を初めて聞いたのは就職が決まって藤沢に借家を借りたころ。駅北口、さいかや、ダイエーと遊行通りに挟まれた一角に「ことりの街」があった。戸建てやハモニカ長屋状の飲み屋、大小のキャバレーに、お風呂屋さんが数軒(銭湯ならば一軒で十分だから、そっちではないお風呂)。行燈看板やネオンサインなど色とりどりで、心誘われると同時に何か怖い感じがした。そこを、地元の同僚が新地と呼んでいた。
中の店に一度だけ入ったことがある。その頃通い詰めていた焼き鳥「椿」の親爺が、今日はこれで閉めるからついて来いという。連れて行かれたのはグランドキャバレー。ミラーボールがキラキラしていて、きれいなおねいさんにすぐに囲まれた。あとはおぼろ、あとはおぼろ。(連れてこられた気兼ねがあるので、一二杯飲んだだけだったと思う。もちろん親爺のおごり。)
街の端の方には三味線屋さんがあった。以前は置屋も兼ねたという風情の、おもむきある木造2階建て(2階は何に使うのか?)だった。
今あの辺りは高層マンション群にとすっかり清潔になった。私も藤沢から離れて久しい。三味線屋さんはまだあるのだろうか。
by HoppyKosey | 2016-11-05 00:28 | 出かけた | Comments(1)