小沢昭一さん 南無南無

小沢昭一さんが亡くなった。



稀代の研究者だったとつくづくと思う。
でも小沢さんは芸能者に対する畏敬の気持ちゆえ、決して括ったようなことを言わなかった。
小沢さんは、物事へ近づくときの「礼儀」を教えてくれていたと思う。

小沢さんに去年手紙を出したことを思い出した。

「先日、東京多摩地区の東大和に住んでいた知人から、昭和50年ころまで家にしばしば謎の客人がひと月に一度くらい来訪し、素性がわからないのに家の人たちは丁重に接待していたという話をききました。なにか芸をしたのかと尋ねると、特にそんな様子はなく小一時間ほど座敷で話し込んでからどこかへ消えていくということでした。風情はみすぼらしく部屋にあげるのもためらわれるような感じだったそうです。名前は名乗らないので家族は勝手に「ごめんし」あるいは「おもらいさん」と呼んでいたとのことです。この知人のお母さんはまだお元気で、その頃のことを覚えているそうです。もし興味がありましたらお問い合わせください。お待ちしております。」

http://hoppykosey.exblog.jp/14988553
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by HoppyKosey | 2012-12-10 20:03 | 漂泊の民 | Comments(1)

上垣和次郎と三角寛

「おもらいさん」「ごめんし」「ほかいびと」「ぞうしき乞食」などからいろんな想像をしていたところ、また手持ちの本の一節に気になる記述がありました。

護国寺の床下や墓地に暮らしていたズタボロの「お圭ちゃん」(本名は上垣和二郎)という人が、三角寛氏の家をたびたび訪問しサンカの話などをしていったということです。

1994年11月に発行された雑誌「マージナル10号」で三角寛の息子三浦大五郎氏がインタビューにこたえています。
本名や出自がはっきりしているので「まれびと」とは違うかもしれません。

ところで三角寛という人は非定住民「サンカ」を題材にした小説で知られています。
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by HoppyKosey | 2012-04-17 21:33 | 漂泊の民 | Comments(1)

まれびと信仰

先日、このブログで紹介した川崎北部の「ぞうしき乞食」、東大和市の「ごめんし」または「おもらいさん」。

どちらも素性不明、どこからともなく不定期にやってくる、にもかかわらず歓待される客、ということが共通しています。

民俗学者折口信夫は、こういう人たちは「まれびと」と呼ばれ、他界からやってくる霊的な存在として人々から信仰されてきた、としています。

折口は1953年に亡くなりましたが、彼の死後も東京、神奈川という首都圏に「まれびと」がいたということになります。
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by HoppyKosey | 2012-04-08 19:41 | 漂泊の民 | Comments(2)

小倉美恵子さんの近刊「オオカミの護符」にこんな記述がありました。

「祖母宅にはときどき「ぞうしき(蔵敷)乞食」がやってきた。
ボロボロになった黒っぽい厚手のコートを身にまとい、帽子には草花や鶏の羽のようなものをたくさん飾っていた。
彼はいわゆる物乞いの乞食ではない。
どことなく悠然とした雰囲気をかもし、土橋(川崎北部の村名)界隈の村々を漂泊する自由人だった。
家々を巡るだけでなく、村々の祭礼や家々のお祝いのときには必ず現れたという。
帽子には榊が飾られ、手には鈴を持っていたというから、あるいは神の使いのように思われていたのかもしれない。」

昭和40年代のことのようです。
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by HoppyKosey | 2012-04-05 20:07 | 漂泊の民 | Comments(2)

つぎは昨年、ワタクシが小沢昭一さんにあてたメールの抜粋です。

「先日、東京多摩地区の東大和に住んでいた知人から、昭和50年ころまで家にしばしば謎の客人がひと月に一度くらい来訪し、素性がわからないのに家の人たちは丁重に接待していたという話をききました。
なにか芸をしたのかと尋ねると、特にそんな様子はなく小一時間ほど座敷で話し込んでからどこかへ消えていくということでした。
風情はみすぼらしく部屋にあげるのもためらわれるような感じだったそうです。
名前は名乗らないので家族は勝手に「ごめんし」あるいは「おもらいさん」と呼んでいたとのことです。
この知人のお母さんはまだお元気で、その頃のことを覚えているそうです。
もし興味がありましたらお問い合わせください。お待ちしております。」

ちなみに小沢さんからの返事はありません。
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by HoppyKosey | 2012-04-05 20:05 | 漂泊の民 | Comments(1)