2010年 01月 18日
旧 神戸市立二宮小学校 その1
ふと現地で書いていた日記があることを思い出して家の中を探していると、避難所から戻ってすぐに職場の人向けに書いた自分の文章がでてきましたので数回に分けて転載します。OCRソフトを初めて使いましたが大したものですね。文章はあえてそのままにしました。
1、二宮小学校の教職員… 二宮小学校では2月13日より午前低学年、午後高学年で2校時ずつの二部授業が始まりました。この小学校は市の中心地にあり、住宅が少ないため各学年1クラス、全校でも6クラスの小規模校です。したがって教職員も十数名しかいません。この十数名で現在約360人の校内避難者の生活を支えています。さらに校内避難者だけでなく数百人の近隣の被災者に対する食事配給も1日2回行っています。
小学校OBやPTA、また毎日私たちを含め数名のボランティアが支援しているとはいえ、二宮小学校教職員の負担は想像を絶するものがありました。教職員の中には自宅が被災したり家族を失った人も多いのだろうと思います。それでも順番に学校に泊まり込み、また連日早朝7時前から援助物資の搬入作業に携わっています。彼らの苦労はまさに筆舌に尽くし難いものでした。
しかもこんな状況にもめげず、一刻も早く子供達に対する授業を再開しようと努力している二宮小学校の教職員の姿、心うたれたのは私だけではないと思います。彼等はこの月曜日からついに授業を再開しました。しかし学校はいまだ避難所であり、この先いつまで避難所なのかも全く見当ません。こういった過酷な負担が二宮小学校の教職員を押し漬してしまうのは、もはや時間の問題だと感じました。二宮小学校だけでなく神戸には同じような学校避難所が数えきれないほどあるのです。きっとどこも同じような状況だと思います。私たちになにができるのかを考えざるを得ません。
授業が始まるので私たちも幾つかの教室を片付けました。図工室の床には子供達の作品が散乱していました。作品棚は転倒し、デッサン用の石膏像が粉々になっていました。大きなものを運び出した後に子供達の作品を箒で掻き集めごみ袋に詰めているときは、いつも陽気なボランティア達もさすがにやり切れない気持ちで終始無言でした。二宮小学校の一人の先生がはっと気付いたように「子供達の作品はこっちへ分けといて」といった声にずいぶん救われました。
*この写真はその年の8月に再訪したときのもので、ワタシが寝泊りしていた部屋です。校内にはまだ何人もの被災者が暮らしていました。
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